インターン
前回のブログの続きです。
今回は、インターン時代を書こうと思います。
インターン先では、Rubyを使ったクローラーを作っていました。
「クローラーって何?」
「Rubyでちゃんと実装したことないんだけどな」
「既存のRubyのコードないやん! 」
と言う感じの状態でした。
先輩方は経験のある優秀な方達だったので、
ライブラリを教えてもらったり、
ファンクションとはとか、
サーバーとはとかその辺りから教えていただきました。
スレッドについて1週間ほどいただいて学習した日もありました。
(当時は本当に意味がわからなかったし、Rubyがスレッド処理に向いていなさすぎる問題が酷かった)
つまりですね、プログラミングスクールに通っただけでは
この辺のことはちゃんと理解できなかったんですね。
この辺のことまでちゃんと理解するには、
自分で本を買って学習するとか、
WEB教材でプラスで勉強するとか、
そう言う取り組みが必要になるんだなと感じたんですね。
少なくとも私の通っていた時代のプログラミングスクールのビジネスモデルと、学習内容では、到底現場では活躍できない戦力にしかなれず、インターンや就職した後からが本当の学習のスタートだったように感じます。
それでも、文系大学に通っていた私が、エンジニアに転身するきっかけになったのはプログラミングスクールのおかげなので本当に感謝しています。
こちらの会社では、結局、インターンから新卒採用までしていただき、裁量持って仕事させていただけました。
ここまでがエンジニアとしてちゃんと就職するまでのお話でした。
次回からは、エンジニアとして成長する私について苦闘を書いていきたいと思います。
(お た の し み に)
プログライングスクールに通ってみた結果
前回のブログの続きです。
今回は、実際のプログラミングスクール時代から1社目に出会うまでを書きたいと思います。
私は、プログラミングスクールに勧誘され、受講を決めた時に、
「エンジニアとして働いて、お金をたくさん稼ぐ」
みたいな野望を持ちました。
これが私のエンジニア人生の主軸になります。
今や流行りのプログラミングスクールですが、当時通っていたプログラミングスクールは、走り出したのが早い方で、競合は1社くらいだったのではないかと思います。
そんなプログラミングスクールの売り文句は、6ヶ月でプログラミングを身につけて就職先を探そう!
みたいなものでした。(主観)
プログラミングスクールの受講料は私立大学の授業料の半年分相当。
安くはない金額です。
内容としては、基本的には自宅で教材に基づいて学習を進め、週1の講義では、テストされたり、チーム制作を行ったりと言う感じでした。
同期の中では1、2を争うほど、プログラミングができるようになりました。
同じチームメンバーに教えるほどだったので、自信を持ちました。
受講し始めてから5ヶ月後、チーム制作で作ったサイトが完成しかかっていたので、それをポートフォリオとして1つだけ持ってインターン探しを始めました。
インターン探しはそれほど難しくなく、媒体を使って、数社連絡して、当時興味があったファッション系の会社と面談の日がすぐに決まりました。
これがエンジニア人生で1社目との出会いです。
次回は、この1社目で経験したことを書いていきたいと思います。
(お た の し み に)
エンジニアの私
私は、20半ばの女エンジニアです。
近頃の若者はエンジニアになりたがる。
そんな流れに乗った20半ばのエンジニアです。
私のエンジニア人生について語る場が欲しく、はてなブログを活用させていただくことにしました。
まずは、自分のエンジニア人生に到るまでを紹介します。
小学生。合唱で人一倍声でかく歌っていたという思い出。
好きな男の子はいじめるタイプでした。(追っかけ回して締める毎日)
中学生。好きじゃない楽器が全然上達しなかった時期。
歯医者に行くと言って部活をサボってショッピングセンターで遊んでいたら見つかって校長室で締められました。
高校生。なぜかトップ合格してしまった。(ランクを下げたから)
すごものだと思われて、変な期待をされて先生たちから手厚い保護を受ける。
素直に成績を伸ばすことができず、生徒会とか会計系の部活に入れられて全国1位とかとる。
大学生。高校の流れに乗り、親に経理になりたいんだと泣きながら説得して、東京のFランク大学に通わせていただく。なんの検定をとることもできず、ゆるく卒業単位をゲット。
ここで大きく人生の方向転換をします。
就活中のことです。
就活は、人に媚びる技術試験だと思っていました。
媚びることと、どうしても好きになれそうにない仕事に対してやる気を語ることができなかった私は、内定をゲットできませんでした。
そんな時、
「エンジニアになると高収入も夢じゃないよ〜」
「お母さんたちに恩返しをすることもできるよ〜」
とうまい営業をかけられ、当時ベンチャーだったプログラミングスクールに通い出しました。
ここまでが、エンジニア人生への第一歩です。
本日はここまでにしたいと思います。
次回は、プログラミングスクール物語を書きたいと思います。
(お た の し み に)